TOP人気コーナー定番特集 ≫ 笠沙ムラたび 神、人、食に出会った
定番特集

笠沙ムラたび 神、人、食に出会った

写真・文/乾 祐綺

鹿児島県の薩摩半島西南に位置する南さつま市。眼前に広がる雄大な東シナ海に抱かれるように、当地の暮らしにはいつも海があった。陸地の多くは山間部によって占められ、そのため古くから漁業が栄えた。地域の海岸には天孫降臨伝説が残り、鑑真和上が初めて上陸したという史実もある。今回は、海とともに歴史を重ねてきた南さつま市が舞台。笠沙を中心に、神、人、食と出会うムラたびへ、いざ!


shiozukuri.jpg

「すんくじら」とは薩摩の言葉で「隅っこ」という意味だそうだ。そして笠沙のある南さつま市は、まさに薩摩半島の「すんくじら」と形容するのがふさわしい。鹿児島市内から車で約90分、周囲に広がるのは山と海の景色のみ。荒々しい表情を見せるダイナミックな海岸線はどこか大陸的であり、神々しさすら感じさせる威風に満ちていた。"最果ての地"という言葉が似合うような、そんな旅情に溢れた風景があちこちに広がっていた。

 今回のムラたびでは、笠沙で塩作りを生業にする"しおっじいっ&ばぁ"こと、松山進さん・智恵さん夫妻にナビゲーターをお願いした。奥様・智恵さんのご両親の生まれ故郷である当地へは、今から10年前に移住。それまでの京都暮らしから一変、九州のムラ人となった。マチ暮らしの経験を生かし、現在では地域づくりの活動にも意欲的に取り組んでいる。松山さんらとともに笠沙を巡り、ムラの魅力に触れてみたい。

 さて、笠沙に取材陣が入った時、すでに19時を回っていた。松山さん夫妻は我々のための宴を用意してくれていた。テーブルには海の幸、山の幸がずらり並んだ。しかも到着翌日はなんと皆既日食。各地から集まった松山さんの友人らとともに卓を囲ませていただき、夜遅くまで、飲み、騒いだ。明日からの取材がなんとも楽しみであった。

笠沙の海が凝縮された松山さんの塩の味

matsuyama fufuhu.jpg
 翌朝、まずは松山さんの塩作りを見せてもらうことに。地元の仲間とともに造った工房の中で、松山さんが汗だくになりながら大きなかまどに薪をくべていた。
 「200ℓの海水を1日12時間ほど炊き上げる。海水を注ぎ足しながら1週間。最後に濾して、乾燥。約1トンの海水から25 の塩ができるんです」
 笑いながらそう説明する松山さん。しかし、よくよく考えてみれば非常に根気のいる作業である。仕事の苦労を伺った。
 「塩とともに必ず食べるものがあり、それをどうおいしく食べていただくか。それを常に考えている。昔、あるお客さんから"三方喜ぶ商売をしなさい"といわれました。そのときはわからなかったけれども、今はなんとなくわかる。塩を媒体として、うちも売れればうれしいし、お客さんも喜んでくれて...、そうやって輪が広がっていけばいい。だから味にはこだわるなぁ」
 「でも」と話を区切り、松山さんはさらに続ける。

「大変な仕事とは思わない。楽しい仕事ですよ。薪は30分ごとにくべないといけないけど、その間にいろいろできる。薪を割ったり、日曜大工をしたり、ギターを弾いたり...(笑)。梅雨時は塩が乾かないし、台風だったら海水を汲みにいけないといった天気次第のところもあるけど、そういう時には地元の友人が遊びに来てくれたりするから」
 苦労はあるが、理想のムラ暮らしを実践しているように見える松山さん。その彼が、数々の天然塩を研究し、いき着いたという自慢の塩を舐めてみた。ふわっとした口当たりで、自然な旨味が口の中に広がった。
 「海水をぐらぐらと炊かないことで、結晶の粒が大きく、柔らかな塩になる。悪くいえば特徴がない(笑)。でも良くいえば、舌触りがよく、どんな料理にも合います」
 塩はありがたいムラの恵みであり、海に囲まれた笠沙らしい産物だ。さらに、興味深いことを松山さんは教えてくれた。「塩作りに使う海水は、黒潮が流れる黒瀬海岸から汲んでいるんですよ」
 黒瀬海岸といえば、天孫降臨伝説の主人公ともいえるニニギノミコトが上陸したとされる浜だ。現地を見たいと思い、松山さんに黒瀬海岸へ案内していただいた。
gyosen.jpg

笠沙の原点で出会った驚きのエピソード

 波打ち際には大きな岩がごろごろと転がり、霞がかった沖のほうには小島も見えた。どこか神秘的な雰囲気漂う黒瀬海岸の近くに「ニニギノミコト上陸地」の碑が。
 『(ニニギノミコトは)肥沃の地を求めて日南海岸を南下し、薩摩半島を西に廻って「笠狭碕」の沖に辿りつかれた(一部抜粋)』
 日向の高千穂の峰に降臨されたニニギノミコトは、舟でこの浜へ渡ったとされる。ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメという美しい妃に出逢い宮居を定め、のちに誕生したのが天皇家の祖先であり、隼人の祖とされるホノスソリノミコト(のちの海幸彦)、ヒコホホデノミコト(のちの山幸彦)、そしてホアカリノミコトの3神だ。笠沙は、神々の物語が始まった場所ともいえる。
 そういえば黒瀬海岸は地元では"神渡海岸"の別名を持ち、土地には神渡の姓を名乗る家が数十戸ある。そして、碑の中にはさらに気になる記述も。
 『塩土爺が現れ、尊をお迎えし、自分の家に伴い、塩俵の上に獣皮を敷き、山海の珍味をご馳走して歓待されたという』
 「えっ、『塩土爺』って松山さんのことでは!?」。夕べの宴といい、なんとも奇妙な符号に取材陣一同、大騒ぎ。ちなみに「塩土爺」とは潮流を司る神とされ、記紀では「塩土老翁」「塩筒老翁」「塩土老翁」などの名でたびたび登場。随所で神々へ的確なアドバイスをする重要な役割を担っている。思いがけないエピソードもまた、旅の醍醐味なのだ。
kurosekaigan.jpg
小湊港で出会った極上の干物

katugyo.jpg
地域の魅力をマチの人に知ってほしい、そして地元の人にはもっと自信を持ってほしい」という想いで、松山さんはNPO法人南さつまを立ち上げた。地域活性のためのさまざまな活動を通じてたくさんの人々と出会い、そこから生まれたモノもあるという。「船上干し」がそれだ。
 今は冷凍の魚を使って、機械(乾燥機)で干して作る干物が多い。さらに塩水に漬けて干すから旨味も抜けてしまう。うちは刺身用で使う獲れたての魚を捌いて、塩を手ですり込む。もちろん塩は、松山さんの天然塩。一晩冷蔵庫で寝かせることで水分とともに臭みも抜ける。翌朝漁に出る時に船の上で干し、ちょうど戻ってきたころに完成。この干物に地元の海、太陽、風を込めた」
 そう教えてくれたのは加世田漁業協同組合の組合長・阿久根金也さん。船上干しの干物は、加世田漁協購買部で購入可能。現在は新たな販路も模索中だとか。「こだわった商品はこだわって売ってほしい」という阿久根さんの想いから、慎重に取引先を選んでいるという。
 売店では干物とともに新鮮な魚が販売されていた。取材の間にも続々と売れていく。しかも魚種が非常に多い。聞けば、東シナ海に面した笠沙周辺は魚種が豊富な海として、知る人ぞ知る存在とか。とくに水族館関係者の間では非常に有名で、通常年間に獲れる魚種が200~300のところ、笠沙では500以上も揚がるとか。熱帯、亜熱帯、温帯など、さまざまな海域の魚が集うのもまた、笠沙の海の特徴であり、魅力といえよう。
minato.jpg
魚食の普及に尽力する笠沙の人たち

 
nakaosan.jpg
松山さんに連れられ、片浦港へ。港の入口にある小島は神之島(竹島)といい、小高い山の頂上にはニニギノミコトを祀る石の祠があるという。身近な場所に神話が息づくのもまた、笠沙の魅力だろう。
 片浦港では、観光客誘致のイベントなどを仕掛ける笠沙のキーマンの一人である笠沙町漁業協同組合長の中尾雄作さんにもお会いできた。海産物の売り先を開拓するとともに、加工品の開発やレストラン施設など、新たな取組みも視野に入れつつ、全国の事例を研究。とりわけ魚食普及に力を入れており、日本食育者協会のシーフードマイスターの資格を持つ奥様・節子さんとともに、地魚を使った新しいメニューの開発にも挑む。
 「魚料理は面倒って思っている人が多い。料理の仕方がわからない、ボリューム感がない、生ゴミが出るといった短所がいわれるけど、一方では体に良い、季節感がある、料理方法の種類が多彩といった長所も多い」とは節子さんの談。節子さんはトビウオのメンチカツや、ボラのフライなど、意外性があり、かつおいしい料理をいくつも開発した。ちなみに松山さんも、節子さんにご教示いただきながら、地域の産物を使った新たな名物を画策中らしい。

   ◆◆◆

笠沙をしばらく車で走ってみた。海岸沿いは風光明媚な断崖絶壁が続き、海から少し離れただけで、山間の景色が広がる。海と寄り添うように生きてきた土地の暮らしを想像できる風景といえよう。だからこそ、海とその恵みへの感謝があるのだろう。自慢の海を、魚介類を、多くの人に知ってもらいたい、その想いで奔走する地域の人たちの姿が笠沙にはあった。

 「なにもないけど、なんでもある。マチの人も、そしてここに暮らしている人も皆、それを知らない」――。取材中、松山さんがふと口にした言葉が耳に残った。神話があり、想いを持つ人がいて、滋味がある。そしてそのそばにはいつも、海の風景があった。原初的な魅力に溢れた笠沙へ、この秋ふたたび訪れたい。
danngaizeppeki.jpg