編集長ブログ

私と郷田家とのエピソードについて

2010年11月9日(火)

 
今日は、宮崎西都で地域づくりのワークショップに出かけ、そのまま久しぶりに綾の郷田美紀子さんのところの"癒しのお宿" 「綾ビオスヴィレッジごうだ」に泊まってきました。
ここは最新号11号にて取材し、紹介しています。

私と郷田家のかかわりは、今は亡き・美紀子さんのお父様、郷田実さん(綾の照葉樹林を守り、有機農業の里づくりを進めてきた九州が生んだ偉大な首長として全国でも有名な方)に、「九州の村」創刊準備号(リニューアルする前の本当の0号)に、郷田実さんにインタビューさせていただいたことからはじまりました。
そのご縁で、生前の実さんに何度か、地域づくりについて教えてただいたことがあります。
自分は票のためではなく、命を懸けて政治をやっとった」という静かな口調でお話いただいたことが思い出されます。

美紀子さんとのご縁は、九州での食育の委員としてご一緒させていただいてから。
そして彼女の長男・壮(タケル)とは、九州ツーリズム大学のキャンパス・小国の木魂館でした。
もう12、13年前のことになります。飄々とした雰囲気の人なつっこそうな若者が受講しててきており、休憩時間、運動場で彼に声をかけてみました。

「どこから来たの?」
「綾から来ました」
「名前は?」
「郷田タケルです」
「綾の郷田といえば、実さんの・・・」
「孫です」
自分は興味をおぼえ、
「何しに九州ツー大に来たの?」
すると
「自分は有機農業やりたんです。今はやり始めてばっかりですけど」

森を守り続けてきた実さんの孫が農業をやろうとしていることに、思わず「とにかく石の上にも3年と言うやないか。頑張って3年間、百姓やってみんね。必ず取材に行くから」と彼と話しました。ほんの数分のやりとりです。
ただ、彼の雰囲気、オーラのようなものを感じ、その場面は今でもはっきり覚えています。

それから5年後、2004年の「九州のムラ」16号に、特集・ムラの遺伝子 「命のめぐりと共に」 の中で、森を守った実さん、薬膳料理「オーガニック郷田」を拠点に食を伝える美紀子さん、そして有機農業をやるタケルの3世代に脈々つつながる遺伝子を表現したく、この特集を組みました。

確認の原稿を送ったとき、電話口の向こうで美紀子さんが原稿を確認しながら、すすり泣いておられたことも、自分の九ムラ人生で思い出に残る特集でした。

その後、タケルとは「九州のムラ市場」や「トヨタのGazoo muraプロジェクト」などをつなげ、綾の若者たちのリーダーとして、いろいろ一緒にやってきました。

そのタケルが昨年10月末、クモ膜下出血で帰らぬ人となってしまいました。
美紀子さんが、有機農業だけでは将来苦しかろうと、結婚したタケルの家族の将来のために、宿泊できる拠点をと、家を建て、オープンする直前のことでした。

昨年の人吉・球磨地域で開催した「九州グリーンツーリズムシンポ」前夜祭では、美紀子さんの悲しみ、無念さをその会場に来れれた民泊のお母様たちに、自分からお伝えしました。

それから1年、タケルにお線香をあげ、美紀子さんのつくる"癒しの食卓"をいただき、かえって自分が元気づけれれたように気がします。

九州のムラに携わり、九州の民泊に泊まるたびに、地域に暮らす女性たちに元気をもらってきました。

"いい嫁であれ、いい母であれ"と、男性中心の地域の中で、一所懸命子育てをし、農業をし、生計を助け、生き抜いてきた女性たちは、いろんな苦労を乗り越えてこられてのでしょう。
苦労の分だけ やさしくなれる という歌詞があったような。
そんなことをよく感じます。

タケルとは Gazoo mura プロジェクトの立上げの際に、綾にふさわしいキャッチをということで
『エコヴィレッジ綾』という名前を全員で決めました。

西都のワークショップのとき、参加されている女性から、スコットランドの『フィンドホーン』のことをうかがい、これがエコヴィレッジのモデルということも知りました。

石井十次が孤児たちを一緒に理想の地を作ろうと西都の茶臼原に移り住み、はるか遠くには、古事記・日本書紀のふるさととして、コノハナサクヤヒメ・ニニギノミコトの御陵も。
照葉樹林は多くの命を育み、まさに綾から西都にいたる宮崎のこの地域は『いやしろ地』として、
現代の私達をいやしてくれる地です。

p.s.
美紀子さんの愛犬に子供が生まれました。もしかしたら我が家にもその1匹が。
今度は子供たちと一緒に見に行きます。