編集長ブログ

ムラの生命をマチの暮らしに、マチの活力をムラの生業に。

ムラの生命をマチの暮らしに、

マチの活力をムラの生業に。

                         九州のムラへ行こう 編集長

                          養父 信夫


都市部と農村を繋げ、ムラに活力をという思いで始めた「九州のムラ」という雑誌(今は「九州のムラへ行こう」に誌名変更)。早いもので14年になる。

その間、ムラはどう変わったのか。


日本の「村」の原型は、江戸時代から昭和30年代までは、さほど変わってはいない。急激に変ったのは戦後からのこの半世紀である。ムラは解体され、ムラから解放された次男坊、三男坊がマチに出て、日本の高度経済成長を支えてきた。土地、家に縛られ、今朝のウチの出来事が、その日の夕方にはご近所に知れ渡るといった因習的な「村」は「遅れた存在」として、置き去りにされてきたのである。

それでも、長男坊を中心に、先祖伝来の土地を営々と耕し、何とか「村」を維持してきた。「村」のお役人も一緒に汗水ながし、村おこしをやってきた。

しかし、その村も大合併で次々に消滅し、昨今は限界集落という言葉も囁かれ出した。

村はこのままなくなってしまうのか。

否である。

行政区分の「村」は確かに急激に淘汰された。しかし、"人群れるところすべてムラである"ところの"ムラ"は、そこにムラ人たちが暮らし続ける限りは存在し続けるのである。

しかも、第三のムラ人として、その"ムラ"にマチで暮らす人々が関わりはじめている。幼少期にムラで暮らした人たちは、土の匂い、虫の声、祭りの囃子、炊きたての新米の

香り、それに玄関先に置かれた土付きの野菜など、農村的文化にもう一度触れたいと農村

に回帰していく。また、全く農村で暮らしたことのない若者や、根っからの都市住民は、

疎外された都市生活をリセットし、理想郷としてのムラ、つまりユートピアとしてのムラ

を追い求めはじめている。中にはそれは幻想と気づき、離れていく人もいるが。


グリーンツーリズムとは、地域でとれた農産物をマチの人たちが買い、ムラの旨食を味わい、さらには民泊するなどして、マチとの交流によってムラの経済を創り出すことである。農産物直売所はその数はピークの時期を過ぎ、これから淘汰されていくであろうが、農家レストラン、農家民宿など、その数はここ10年、徐々に増えている。

グリーンツーリズムがもたらすものは、経済効果だけではない。農村で先祖伝来の土地を守りつづけ、収穫に喜び、あるときは大自然の脅威に畏れ、地道ながらも一歩一歩大地を踏みしめ、家族や集落のムラびとたち、それと自然と共に生きてきた、ムラ人たちの生き様、価値観、ライフスタイルを見つめ直す運動でもある。

ヨソものであるマチの人間によって、ムラが持っている価値をムラ人たちは再認識する。同時にマチ人たちも、本来われわれ日本人が持っていた感性を取り戻し、生きる力をいただくのである。

マチとムラの両方にとって、「食」は繋ぎ役となる。命の産業である農漁業を生業とするムラ人たちとの交流は、"生命(いのち)"のことを感じ、学ぶことにつながっていく。食事のときに"いただきます"という言葉の意味を、頭ではなく五感と心で理解するためにはムラの暮らしに触れることである。


 私は福岡県宗像(むなかた)の神官の息子として生まれた。宗像はアマテラスオオミカミとスサノオノミコトとの間にお生まれになった三女神を絶海の孤島・沖ノ島(沖津宮)、それに筑前大島(中津宮)、田島(辺津宮)にお祀りしている神社である。宗像の神々は漁村農村に暮らす氏子としてのムラ人たちによって、いにしえより篤く支えられてきたのである。

ムラの取材のときには、その土地の氏神様に手を合わせる。最近気になることは、お社(やしろ)だけではく、境内も荒れ、ムラ人たちの手が入っている気配がない神社が増えていることである。農林業が厳しくなり、ムラ人も少なくなくなり、祭りも担い手を確保するのに毎年苦慮している。その祭りも何とか行政からの支援で維持しているところも少なくない。

もはやムラはムラだけで生きることは難しい時代なのである。マチと手を繋ぎ、ムラの生命をマチの暮らしに繋げながら、同時に「マチの力=活力や経済力」などをムラとつなげ、新たなムラの生業を創っていくことがお互いに求められているのである。


九州各地のムラでも、マチとのさまざまな交流が花を咲かそうとしている。大分県の宇佐・安心院では『農村民泊』と呼ばれるムラのお宿でマチとの交流を深めている。熊本県の阿蘇では、阿蘇の大自然、阿蘇神社の参道沿いの商店街の若者たち、牧野組合や高原野菜の農家たちが、それぞれの形で交流を行っている。また長崎の松浦や小値賀島、西海地域では、マチの子どもたちを2、3日預かり、自然の中で生きる楽しさ、力を教えている。宮崎の高千穂でも、神楽を年中奉納できるよう民家を移築し、そこで交流し、希望があれば神楽もふるまう。小さなムラのこのような取り組みは、ムラに活力を与え、交流し続けたマチの人々の中には、新たなムラ人として移り住む者も出始めた。


"ムラの生命をマチの暮らしに、マチの活力をムラの生業に"

このマチとの交流が、これからのムラを拓き、ムラの文化を繋げる力になってくれる。

これからもマチとムラとの交流の息づかいを伝えていきたい。