ムラは自然と共生する社会 。
"悠々とした地域生活の総合誌"「九州のムラ」を発刊して10年目を迎えた。
郷里九州に戻り、ムラを訪れ、ムラびとと語らい、
その地域の風土、風景、風習、風俗、風格、風味、風情といった"風"をマチの人々に伝えてきた。
「九州のムラ」の取材対象は行政区分上の"村"ではなく集落単位、
つまり昔から人々が暮らしてきた"自然村"である。
"人の群れるところすべてムラである"とすれば、平成の大合併で行政区分上の"村"がなくなったとしても、
先人たちの暮らしの単位であった"ムラ"は、人々がそこに暮らしている限りは存続しうるのである。
弊誌が10年前に「九州の村」として創刊した後、
通巻第3号からカタカナの「ムラ」の標記に変更したのもそうした思いがあったからである。
自分が生まれ育ったムラは福岡県宗像(むなかた)。
父は神官であり、宗像の三女神が祀られる旧大島村(現宗像市)の漁村、それに旧玄海町(現宗像市)の
農村で大学生まで過ごした(沖ノ島は神官のみが交代で守る"神の島"であり、集落はない)。
"ムラの鎮守の神様"は氏子であるムラびとたちによって祀られ、
人々がこの地で暮らしを始めた古より、ムラを見守り続けてきた。
津々浦々、山々峰々、人々が暮らすところに、神社があり、その数約八万社ともいわれる。
この数はあくまで、ある基準に基づいて、
神社本庁という全国の神社を統括する組織が把握している神社の数である。
自然を崇拝し、巨木や岩、自然現象などに対して畏敬の念をいだき、神を感じ、まつりごとを行ってきた地は、
それこそ"八百万の神々"と称されるように、数限りない。
我々日本人の感覚で言えば、「神」を「自然」と置き換えた方が分かりやすい。
「古事記」「日本書紀」には自然や自然現象が擬神化した壮大な物語が綴られている。
その「自然」は日本においては、実に様々な表情をみせる。
四季折々の色彩豊かな顔、大地を潤し、豊穣な実りをもたらす恵みの顔、ある時には台風、
地震を代表とする天変地異をもたらす厳しい顔、そのすべてが「自然」であり、
ムラびとたちはその「自然」をすべて受け入れ、共に生きてきた。
その付き合い方は先人たちの叡智の中で学び、脈々と命を繋げてきたのである。
決して奢らず、水の流れのごとく、ゆっくりと、しかし確実に生き抜いてきた。
日本人は、「自然」と共に生き、「自然」から生き方さえも学んできた民族なのである。
---------------------------
「ムラ」と「マチ」の交流の時代
---------------------------
今、その「自然」を守り、命を紡いできたムラが危機的な状況に陥っている。
戦後半世紀、あまりにも急激に展開した近代化が、
経済の枠に収まりきれない「自然」を切り捨ててきてしまった。
その結果、ムラは見捨てられ、農林漁業は低迷し、
ムラびとたちの暮らしの手が入ることによって守られてきた「自然」も荒廃した。
「自然」の荒廃は「心」の荒廃となってそのまま我々にはね返ってくる。
もはや「ムラ」は「ムラ」だけでは成り立たないところまで来ているのである。
戦前までの「ムラ」社会は、生産活動と消費活動が一つの社会で成り立っていた。
ムラ全体が主に第一次産業に従事し、第一次産業を中心にそれら産物を加工する第二次産業、
販売する第三次三産業とが、顔の見える範囲、
またはせいぜい一人二人で辿れる範囲の中で繋がっていた。
あたかも個々の「ムラ」社会が一つの小宇宙をなし、独立した存在として逞しく生きてきたのである。
戦後の近代化によってこの図式は大きく崩れ、
消費する「マチ」と、生産する「ムラ」という対立構造に陥ってしまったのである。
「九州のムラ」で伝えたいのは"戦前の暮らしに戻ろう"ということではない。
「マチ」には「マチ」の良さが、「ムラ」には「ムラ」の良さがあり、
それをまずはお互いが認め、もっと交わり、お互いに無いところを補い合い、
「ムラ」も「マチ」ももっと豊かな暮らしを実現しましょう"ということなのである。
『ムラの命をマチの暮らしに、マチの力をムラの生業に』。
これは「九州のムラ」の基本理念として掲げている言葉である。
マチの暮らしの中では、もはや「命」を感じることが難しくなってきている。
食一つとっても、本当の意味で子供たちに"(命を)いただきます"の意味を伝えることが出来るのであろうか。
生産と消費が乖離するほどに、土から離れるほどに、「自然」から隔絶されるほどに、
自然界の「命」をいただきながら、我が命が繋がっていく真理を伝えることは難しくなってくる。
ゲームの世界ように「命」は簡単にはリセットされてるものではない。
それを教科書からではなく、日々の暮らしの中でどこまで伝え、感じられるのであろうか。
グリーン・ツーリズムやスローフード(*1)といった運動によって、マチの人々がムラを訪れ、
ムラの暮らしに触れ、そこで「命」を感じ、学び、また自分たちの暮らしに繋げてもらう。
また「ムラ」もマチと繋がることによって、経済という力を得て、新しい生業(なりわい)の道を拓いていく。
その架け橋に「九州のムラ」がなれればと思っている。
(※1)スローフード
イタリアで始まった食を守る運動。
地域固有の料理、伝統食を守り、生産者を守り、消費者に食育を行う活動を行う。
---------------
今こそムラの時代
---------------
号を重ねるごとに増えていく読者の方からいただくアンケートハガキには
毎号ムラに対しての思いが綴られている。
読者層は20代から60代まで幅広いが、各世代のキーワードは少しずつ異なっている。
マチに住む50~60歳代は「定年後は自然豊かなところで暮らしたい」といった"定年帰農"、
または「ちょっとした菜園で田舎暮らしの雰囲気を味わいたい」といった"農的生活"への憧れ、
それに「自然の中での"癒し"」を求めている人が多い。
30~40歳代では「子供を自然の中で思いっきり遊ばせたい」と
自分が子供のころに体験したことを子供たちに伝えたいと思っている人が増えている。
また20~30代の若いお母さん達の中には
「"安全な食"を子供たちに食べさせたい」「"環境"を守っていくことが大切」
といった内容のハガキも多く見られる。
10~20代の若い人の中には「ムラってとても素敵ですね」「廃校に是非行ってみたい」
というようなコメントを書いてくる方も増えている。
それだけかれらにとってはムラが非日常になってしまったのであろう。
「となりのトトロ」で育った世代の独特のムラ観といったところであろうか。
マチ側がよりバーチャルに、グローバルに、IT化・デジタル化を盲進するほど、
その反動として自然豊かで暮らしにリアリティのあるムラを求めているのかもしれない。
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ツーリズムの先進地「九州」
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九州はマチとムラとの交流活動である「グリーン・ツーリズム」が全国的にも進んだ地域である。
ツーリズムの人材育成を目指す熊本県小国の「九州ツーリズム大学」、
今や年間3,000人もの人々が普通の農家や民家に宿泊することで有名な大分県安心院(あじむ)、
"ワーキングホリディ制度"を都市と農村を繋ぐ仕組みに活用し、花卉栽培などの援農でマチの人々を
受け入れている宮崎県西米良(にしめら)、体験型観光を積極的に展開し、
ムラの人々が先生となってさまざまな暮らしの体験、遊びの体験をメニュー化して交流を行なう
熊本県水上など、全国から視察に訪れるような先進的な取り組みを行っている地域も多い。
農村を舞台に展開されるグリーンツーリズムとは、『マチ』の人間にとっては
「田舎を訪れ、人々と交流し、その生活に触れ、様々な体験をする」新しい旅のスタイルの一つであり、
『ムラ』にとっては、「農林漁業の第1次産業をベースに加工品や特産品を作り(第2次産業)、
更に農家民宿、農家レストラン、直売所など、サービス業(第3次産業)まで産業を複合化して
地域の経済基盤を作っていく活動」でもある。
しかし単なる経済効果だけではない。マチの子供達とムラのお年寄り、サラリーマンと農家や漁師、
消費者と生産者・・・グリーンツーリズムによって日常の生活では交わることのない人々が深く結ばれる。
それは「マチ」「ムラ」に暮らす人々がお互いに自分自身の生き方を再認識し、
その地に生きていることの自信と誇りを取り戻す運動でもある。
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観光と農の融合
-------------
近年、"九州は一つ"の掛け声のもと、九州の全体で観光振興を進める動きが盛んである。
東名阪を中心に都市部の人々だけではなく、近隣の諸国アジアを中心に外国からも誘致しようと
行政主導で動き始めた。
観光とはそもそもその字が示すように、訪れた"国の光を観る"ことである。
先人たちの叡智や国を拓くための希望や苦労の凝縮した歴史的建造物、
それにそこに暮らす人々の息吹こそが、他地域から訪れた人々の心に残っていくものとなるはずである。
このような視点から"新しい旅"としての様々な"ツーリズム"
(本来は旅=ツーリズムであるが、日本では従来型の物見遊山的な旅を"観光"とし、
グリーン・ツーリズムやエコ・ツーリズムなどの体験型の観光で少人数の受け入れによる
新しい旅を"ツーリズム"と呼ぶことが多い)を九州に組み入れると、
新しい九州ツーリズムマップが出来上がってくる。
歴史的な遺産を拠点とし、そこに暮らす人々との交流の中で、その建造物と地域の生活に根ざした
宗教的な係わりに触れる"ヘリテージツーリズム"についても九州は多彩である。
宮崎県は海や太陽を観光資源とした従来型観光中心の海岸側に加え、
宮崎オンリーとしての「古事記」「日本書紀」の神話ゆかりの地を繋ぐ『ひむか神話街道』という
山間部を走る道周辺のツーリズム的資源(地域食、伝統文化体験、景観、達人たちなど)を掘り起こし、
磨き、繋げ、新しい観光振興を進めている。
これはまさに神社を中心としたヘリテージツーリズムである。
大分県の国東半島は六郷満山の山岳宗教を中心とした仏閣のヘリテージツーリズム、
長崎県平戸・五島列島、それに熊本県天草周辺は教会を中心としたヘリテージツーリズム。
それにグリーン・ツーリズムで言えば、大分県の安心院を中心に、
今や全県下にに100軒もの農家民宿が立ち上がっている。
また漁村で展開されるブルーツーリズムでは、大分県の蒲江を中心としたリアス式沿岸沿いの地域や、
長崎県松浦地域も積極的に取り組んでいる。
エコツーリズムでは、熊本県阿蘇の草原を守る地域の農家の人たちが、自然案内人となり、
かれらの共有の土地であり、一般には入れない大草原の絶景に誘ってくれる。
阿蘇同様、九州の国立自然公園に指定されている霧島、雲仙、九重なども、
地域住民が中心となり進めている。
まさに『ツーリズム王国・九州』である。
あとは、この新しい観光と既存の観光とをどう繋げるかである。
------------------
「ムラ」から「mura」へ
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雑誌「九州のムラ」は次号にリニューアルを行う。
「mura」というタイトルに変わる。
もちろん「mura」の後には"情報誌「九州のムラ」"という表記は残した上で。
今後も九州各市町村の農山漁村の集落、ムラびとたちを取材し、よりローカルに進めていく。
しかし、思いとしては、「北海道のムラ」「東北のムラ「信州のムラ」など
全国をムラムラさせるような事業につなげていきたい。
最終的には「世界のムラ」から日本を見てみたい。
そうすれば日本人が忘れてしまったものが見えてくるはずである。
2006年7月24日 養父信夫
"悠々とした地域生活の総合誌"「九州のムラ」を発刊して10年目を迎えた。
郷里九州に戻り、ムラを訪れ、ムラびとと語らい、
その地域の風土、風景、風習、風俗、風格、風味、風情といった"風"をマチの人々に伝えてきた。
「九州のムラ」の取材対象は行政区分上の"村"ではなく集落単位、
つまり昔から人々が暮らしてきた"自然村"である。
"人の群れるところすべてムラである"とすれば、平成の大合併で行政区分上の"村"がなくなったとしても、
先人たちの暮らしの単位であった"ムラ"は、人々がそこに暮らしている限りは存続しうるのである。
弊誌が10年前に「九州の村」として創刊した後、
通巻第3号からカタカナの「ムラ」の標記に変更したのもそうした思いがあったからである。
自分が生まれ育ったムラは福岡県宗像(むなかた)。
父は神官であり、宗像の三女神が祀られる旧大島村(現宗像市)の漁村、それに旧玄海町(現宗像市)の
農村で大学生まで過ごした(沖ノ島は神官のみが交代で守る"神の島"であり、集落はない)。
"ムラの鎮守の神様"は氏子であるムラびとたちによって祀られ、
人々がこの地で暮らしを始めた古より、ムラを見守り続けてきた。
津々浦々、山々峰々、人々が暮らすところに、神社があり、その数約八万社ともいわれる。
この数はあくまで、ある基準に基づいて、
神社本庁という全国の神社を統括する組織が把握している神社の数である。
自然を崇拝し、巨木や岩、自然現象などに対して畏敬の念をいだき、神を感じ、まつりごとを行ってきた地は、
それこそ"八百万の神々"と称されるように、数限りない。
我々日本人の感覚で言えば、「神」を「自然」と置き換えた方が分かりやすい。
「古事記」「日本書紀」には自然や自然現象が擬神化した壮大な物語が綴られている。
その「自然」は日本においては、実に様々な表情をみせる。
四季折々の色彩豊かな顔、大地を潤し、豊穣な実りをもたらす恵みの顔、ある時には台風、
地震を代表とする天変地異をもたらす厳しい顔、そのすべてが「自然」であり、
ムラびとたちはその「自然」をすべて受け入れ、共に生きてきた。
その付き合い方は先人たちの叡智の中で学び、脈々と命を繋げてきたのである。
決して奢らず、水の流れのごとく、ゆっくりと、しかし確実に生き抜いてきた。
日本人は、「自然」と共に生き、「自然」から生き方さえも学んできた民族なのである。
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「ムラ」と「マチ」の交流の時代
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今、その「自然」を守り、命を紡いできたムラが危機的な状況に陥っている。
戦後半世紀、あまりにも急激に展開した近代化が、
経済の枠に収まりきれない「自然」を切り捨ててきてしまった。
その結果、ムラは見捨てられ、農林漁業は低迷し、
ムラびとたちの暮らしの手が入ることによって守られてきた「自然」も荒廃した。
「自然」の荒廃は「心」の荒廃となってそのまま我々にはね返ってくる。
もはや「ムラ」は「ムラ」だけでは成り立たないところまで来ているのである。
戦前までの「ムラ」社会は、生産活動と消費活動が一つの社会で成り立っていた。
ムラ全体が主に第一次産業に従事し、第一次産業を中心にそれら産物を加工する第二次産業、
販売する第三次三産業とが、顔の見える範囲、
またはせいぜい一人二人で辿れる範囲の中で繋がっていた。
あたかも個々の「ムラ」社会が一つの小宇宙をなし、独立した存在として逞しく生きてきたのである。
戦後の近代化によってこの図式は大きく崩れ、
消費する「マチ」と、生産する「ムラ」という対立構造に陥ってしまったのである。
「九州のムラ」で伝えたいのは"戦前の暮らしに戻ろう"ということではない。
「マチ」には「マチ」の良さが、「ムラ」には「ムラ」の良さがあり、
それをまずはお互いが認め、もっと交わり、お互いに無いところを補い合い、
「ムラ」も「マチ」ももっと豊かな暮らしを実現しましょう"ということなのである。
『ムラの命をマチの暮らしに、マチの力をムラの生業に』。
これは「九州のムラ」の基本理念として掲げている言葉である。
マチの暮らしの中では、もはや「命」を感じることが難しくなってきている。
食一つとっても、本当の意味で子供たちに"(命を)いただきます"の意味を伝えることが出来るのであろうか。
生産と消費が乖離するほどに、土から離れるほどに、「自然」から隔絶されるほどに、
自然界の「命」をいただきながら、我が命が繋がっていく真理を伝えることは難しくなってくる。
ゲームの世界ように「命」は簡単にはリセットされてるものではない。
それを教科書からではなく、日々の暮らしの中でどこまで伝え、感じられるのであろうか。
グリーン・ツーリズムやスローフード(*1)といった運動によって、マチの人々がムラを訪れ、
ムラの暮らしに触れ、そこで「命」を感じ、学び、また自分たちの暮らしに繋げてもらう。
また「ムラ」もマチと繋がることによって、経済という力を得て、新しい生業(なりわい)の道を拓いていく。
その架け橋に「九州のムラ」がなれればと思っている。
(※1)スローフード
イタリアで始まった食を守る運動。
地域固有の料理、伝統食を守り、生産者を守り、消費者に食育を行う活動を行う。
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今こそムラの時代
---------------
号を重ねるごとに増えていく読者の方からいただくアンケートハガキには
毎号ムラに対しての思いが綴られている。
読者層は20代から60代まで幅広いが、各世代のキーワードは少しずつ異なっている。
マチに住む50~60歳代は「定年後は自然豊かなところで暮らしたい」といった"定年帰農"、
または「ちょっとした菜園で田舎暮らしの雰囲気を味わいたい」といった"農的生活"への憧れ、
それに「自然の中での"癒し"」を求めている人が多い。
30~40歳代では「子供を自然の中で思いっきり遊ばせたい」と
自分が子供のころに体験したことを子供たちに伝えたいと思っている人が増えている。
また20~30代の若いお母さん達の中には
「"安全な食"を子供たちに食べさせたい」「"環境"を守っていくことが大切」
といった内容のハガキも多く見られる。
10~20代の若い人の中には「ムラってとても素敵ですね」「廃校に是非行ってみたい」
というようなコメントを書いてくる方も増えている。
それだけかれらにとってはムラが非日常になってしまったのであろう。
「となりのトトロ」で育った世代の独特のムラ観といったところであろうか。
マチ側がよりバーチャルに、グローバルに、IT化・デジタル化を盲進するほど、
その反動として自然豊かで暮らしにリアリティのあるムラを求めているのかもしれない。
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ツーリズムの先進地「九州」
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九州はマチとムラとの交流活動である「グリーン・ツーリズム」が全国的にも進んだ地域である。
ツーリズムの人材育成を目指す熊本県小国の「九州ツーリズム大学」、
今や年間3,000人もの人々が普通の農家や民家に宿泊することで有名な大分県安心院(あじむ)、
"ワーキングホリディ制度"を都市と農村を繋ぐ仕組みに活用し、花卉栽培などの援農でマチの人々を
受け入れている宮崎県西米良(にしめら)、体験型観光を積極的に展開し、
ムラの人々が先生となってさまざまな暮らしの体験、遊びの体験をメニュー化して交流を行なう
熊本県水上など、全国から視察に訪れるような先進的な取り組みを行っている地域も多い。
農村を舞台に展開されるグリーンツーリズムとは、『マチ』の人間にとっては
「田舎を訪れ、人々と交流し、その生活に触れ、様々な体験をする」新しい旅のスタイルの一つであり、
『ムラ』にとっては、「農林漁業の第1次産業をベースに加工品や特産品を作り(第2次産業)、
更に農家民宿、農家レストラン、直売所など、サービス業(第3次産業)まで産業を複合化して
地域の経済基盤を作っていく活動」でもある。
しかし単なる経済効果だけではない。マチの子供達とムラのお年寄り、サラリーマンと農家や漁師、
消費者と生産者・・・グリーンツーリズムによって日常の生活では交わることのない人々が深く結ばれる。
それは「マチ」「ムラ」に暮らす人々がお互いに自分自身の生き方を再認識し、
その地に生きていることの自信と誇りを取り戻す運動でもある。
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観光と農の融合
-------------
近年、"九州は一つ"の掛け声のもと、九州の全体で観光振興を進める動きが盛んである。
東名阪を中心に都市部の人々だけではなく、近隣の諸国アジアを中心に外国からも誘致しようと
行政主導で動き始めた。
観光とはそもそもその字が示すように、訪れた"国の光を観る"ことである。
先人たちの叡智や国を拓くための希望や苦労の凝縮した歴史的建造物、
それにそこに暮らす人々の息吹こそが、他地域から訪れた人々の心に残っていくものとなるはずである。
このような視点から"新しい旅"としての様々な"ツーリズム"
(本来は旅=ツーリズムであるが、日本では従来型の物見遊山的な旅を"観光"とし、
グリーン・ツーリズムやエコ・ツーリズムなどの体験型の観光で少人数の受け入れによる
新しい旅を"ツーリズム"と呼ぶことが多い)を九州に組み入れると、
新しい九州ツーリズムマップが出来上がってくる。
歴史的な遺産を拠点とし、そこに暮らす人々との交流の中で、その建造物と地域の生活に根ざした
宗教的な係わりに触れる"ヘリテージツーリズム"についても九州は多彩である。
宮崎県は海や太陽を観光資源とした従来型観光中心の海岸側に加え、
宮崎オンリーとしての「古事記」「日本書紀」の神話ゆかりの地を繋ぐ『ひむか神話街道』という
山間部を走る道周辺のツーリズム的資源(地域食、伝統文化体験、景観、達人たちなど)を掘り起こし、
磨き、繋げ、新しい観光振興を進めている。
これはまさに神社を中心としたヘリテージツーリズムである。
大分県の国東半島は六郷満山の山岳宗教を中心とした仏閣のヘリテージツーリズム、
長崎県平戸・五島列島、それに熊本県天草周辺は教会を中心としたヘリテージツーリズム。
それにグリーン・ツーリズムで言えば、大分県の安心院を中心に、
今や全県下にに100軒もの農家民宿が立ち上がっている。
また漁村で展開されるブルーツーリズムでは、大分県の蒲江を中心としたリアス式沿岸沿いの地域や、
長崎県松浦地域も積極的に取り組んでいる。
エコツーリズムでは、熊本県阿蘇の草原を守る地域の農家の人たちが、自然案内人となり、
かれらの共有の土地であり、一般には入れない大草原の絶景に誘ってくれる。
阿蘇同様、九州の国立自然公園に指定されている霧島、雲仙、九重なども、
地域住民が中心となり進めている。
まさに『ツーリズム王国・九州』である。
あとは、この新しい観光と既存の観光とをどう繋げるかである。
------------------
「ムラ」から「mura」へ
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雑誌「九州のムラ」は次号にリニューアルを行う。
「mura」というタイトルに変わる。
もちろん「mura」の後には"情報誌「九州のムラ」"という表記は残した上で。
今後も九州各市町村の農山漁村の集落、ムラびとたちを取材し、よりローカルに進めていく。
しかし、思いとしては、「北海道のムラ」「東北のムラ「信州のムラ」など
全国をムラムラさせるような事業につなげていきたい。
最終的には「世界のムラ」から日本を見てみたい。
そうすれば日本人が忘れてしまったものが見えてくるはずである。
2006年7月24日 養父信夫