「九州の村」から「九州のムラ」に。
「ムラ」に変わってから雑誌づくりに携り早、8年。
神官の息子として育ち、宗像大島村では波の音が、
宗像田島では蛙と虫の音が子守唄代わりになるほどのムラ育ち。
マチに憧れ卒業後は上京し、リクルートに入社。
時はバブルの絶頂期。仕事は最先端の情報通信。入社3年目にR事件が世間を騒がせた。
コンクリートなマチ中でビジィなビジネスマンとして10年間、離れれば離れるほど、
時が経てば経つほどに、故郷のムラのことが見えてきた。
日本のマチの中心からムラを見るほどに、見えるもの。
それは日本人は「自然」とともにあるべきということ。
自然に生きる。自然と生きる。自然から学ぶべき感性を持ち続けること。
人々は自然の恵みの中で群れ、ムラをつくり、大地から海原から自然の恵みをいただき暮らしてきた。
農業、漁業、林業、命をつなげる生業は、グローバル化する市場経済の中では、
世界のムラにとって変わられるだけなのか。
"ムラの命をマチの暮らしに、マチの力をムラの生業に"。
九州にツーリズムの種を蒔いた「21世紀委員会・ツーリズム部会」のテーマである。
時期を同じくして生れた「九州の村」。
97年2月から「ムラ」に、そして今回10週年を迎えた。その思いを綴ってみたい。
一念発起で始めた「九州のムラ」。
二人三脚。紙面を借りて妻に感謝。(出張の多い夫より)
石の上にも三年。雑誌の多くは3年内に廃刊するとか。
四苦八苦の編集作業。最初の号はいつも深夜に。
五里霧中の雑誌発行。社会には必要な雑誌なの?
ロクを食むには売らねばならぬ。読者の皆様に感謝。
七山村から始まった「九州のムラ」物語。
八山初代編集長の意思を引き継ぎ二代目編集長に。
「九州のムラ」「九州のムラ」・・、一号一号積み重ね、
十周年記念号を11月11日に発行いたしました。
初心忘れるべからず。その思いを込めての発行日です。
「九州の村」から「九州のムラ」へ。
そして20周年は「Kyushu no mura」を。
変わらぬご支援、よろしくお願いいたします。
2005年11月10日 養父信夫
「ムラ」に変わってから雑誌づくりに携り早、8年。
神官の息子として育ち、宗像大島村では波の音が、
宗像田島では蛙と虫の音が子守唄代わりになるほどのムラ育ち。
マチに憧れ卒業後は上京し、リクルートに入社。
時はバブルの絶頂期。仕事は最先端の情報通信。入社3年目にR事件が世間を騒がせた。
コンクリートなマチ中でビジィなビジネスマンとして10年間、離れれば離れるほど、
時が経てば経つほどに、故郷のムラのことが見えてきた。
日本のマチの中心からムラを見るほどに、見えるもの。
それは日本人は「自然」とともにあるべきということ。
自然に生きる。自然と生きる。自然から学ぶべき感性を持ち続けること。
人々は自然の恵みの中で群れ、ムラをつくり、大地から海原から自然の恵みをいただき暮らしてきた。
農業、漁業、林業、命をつなげる生業は、グローバル化する市場経済の中では、
世界のムラにとって変わられるだけなのか。
"ムラの命をマチの暮らしに、マチの力をムラの生業に"。
九州にツーリズムの種を蒔いた「21世紀委員会・ツーリズム部会」のテーマである。
時期を同じくして生れた「九州の村」。
97年2月から「ムラ」に、そして今回10週年を迎えた。その思いを綴ってみたい。
一念発起で始めた「九州のムラ」。
二人三脚。紙面を借りて妻に感謝。(出張の多い夫より)
石の上にも三年。雑誌の多くは3年内に廃刊するとか。
四苦八苦の編集作業。最初の号はいつも深夜に。
五里霧中の雑誌発行。社会には必要な雑誌なの?
ロクを食むには売らねばならぬ。読者の皆様に感謝。
七山村から始まった「九州のムラ」物語。
八山初代編集長の意思を引き継ぎ二代目編集長に。
「九州のムラ」「九州のムラ」・・、一号一号積み重ね、
十周年記念号を11月11日に発行いたしました。
初心忘れるべからず。その思いを込めての発行日です。
「九州の村」から「九州のムラ」へ。
そして20周年は「Kyushu no mura」を。
変わらぬご支援、よろしくお願いいたします。
2005年11月10日 養父信夫