2月28、29日、熊本県水俣市で『第1回全国グリーン・ツーリズムネットワーク熊本大会』が開催された。全国から600名以上もの人々が集った会となった。その面々は遠くは北海道からは、「北海道ツーリズム大学」の関係者含め20数名、東北からは宮城県の「若柳グリーンツーリズム研究会」「なるこツーリズム研究会」の皆様ほか16名、福島県からは約16時間かけて車で駆けつけた「会津坂下(ばんげ)町グリーン・ツーリズム促進委員会」の皆さん、岩手県からはグリーンツーリズムの先進地である遠野市の皆さんをはじめ、秋田県、山形県、岩手県から総勢40名近い東北のムラ人たち、さらに東京、埼玉、千葉、神奈川、石川、福井、静岡、愛知、大阪、奈良、和歌山、岡山、山口、徳島、愛媛、高知とまさに全国から、そして九州勢も約500名近い人々が一堂に集ったのである。
初日には7つの分科会が行われ、自分は第5分科会「農村地域づくりとグリーンツーリズム」にパネラーとして出席した。「九州のムラ」の取材を通じて思うことは、グリーンツーリズムというものが大きく3つの捉え方があるということである。
1つ目は「観光としてのグリーンツーリズム、」2つ目は「産業作りとしてのグリーン・ツーリズム」、そして3つ目は「生きがいづくりとしてグリーンツーリズム」である。
1つ目の「観光としてのグリーンツーリズム」は主に都市住民側からのアプローチである。従来の「見る・食べる・遊ぶ」の「るるぶ」的な観光に飽き足らなくなった人々が、「作る、語る、学ぶ」的な目的・テーマをもった新しい観光を求め始めた。しかし、この捉え方のみではムラ人は動かない。「それは、マチの人間の勝手や。わしらはマチの連中のために生きてるんやない」と。
2つ目の「産業作りとしてのグリーン・ツーリズム」は、主に行政主導で展開されてきた。その美名のもと、多くの税金がつぎ込まれ、まず施設が全国のムラ々に作られた。それから第一産業+第二次産業+第三次産業=第六次産業として複合産業による経済基盤作りである。これも「そりゃ、すぐ儲かるんか。それならやろう」と集まったムラ人たちは理想と現実のギャップに、何年か後には解散の憂き目をみる。
実は一見地味に見える第3の「生きがい作りとしてのグリーンツーリズム」が大切なのである。全国でもグリーンツーリズムのメッカとして注目される大分県安心院(あじむ)町(九州のムラでも7号、14号と取材した地域であるが)では、主に一線をリタイアしたムラ人たちが自宅を開放し、マチの人々と"農村民泊"と呼ばれる交流を行っている。かれらの多くは、農村での第二の人生を心豊かに暮らすためにグリーンツーリズムに取り組んでいる感が強い。マチの人々と交流することで、自分たちが、そこで暮らしてゆくことの価値を認識していく。「わしらはここには何にもないと思っとったが、マチの人がこんなに感動してくれとる。自分たちの暮らしもまんざらでもなかったんや」。この"生きがい"の先に各々の"生業(なりわい)"があり、更に地域の"地域づくり"があるのである。そのベースがあって、第1、第2のグリーンツーリズムも無理なく成り立っていくのである。
分科会の後は、水俣のスローフードに舌をうちながらの交流会が始まった。「九州のムラ」同窓会さながら、懐かしい面々との再会であった。第7号「グリーンツーリズムとの対話」で取材した安心院町の「舟板昔話の家」中山さん、南小国町「さこんうえの蛙」の河津さん、西米良村の「西米良型ワーキングホリディ制度」の仕掛け人・黒木課長、黒木町「四季彩館」の椿原さん、11号では岡垣町「ぶどうの樹」の小役丸さん、三瀬村の「マッちゃん」こと合瀬さん、12号の「森の学校」北島さん、「エコツーリズム伝道師」こと山口さん、13号からははるばる愛知、大阪から参加した「カントリーウォーカー」の小川さん、梅本さん。14号では宮崎県山田町の吉見さんご夫婦、再会町ならぬ長崎県西海町の福田さん。それに自分が卒業した「九州ツーリズム大学」の同窓生や先生方、「北海道のムラ」「東北のムラ」を目指して、準備中の長尾女史、中島君。九州でツーリズムを広げるために奔走する同士であるリクルートの井出君などなど。交流会はまだまだ書ききれないほどの人々との楽しいひと時であった。
最終日のシンポジウムで東洋大学の青木先生が興奮した面持ちで語った。「今日、この日は日本のグリーンツーリズムの歴史の中で記念すべき日となった」と。
「九州のムラ」にまた新たな1ページが綴られた日であった。
初日には7つの分科会が行われ、自分は第5分科会「農村地域づくりとグリーンツーリズム」にパネラーとして出席した。「九州のムラ」の取材を通じて思うことは、グリーンツーリズムというものが大きく3つの捉え方があるということである。
1つ目は「観光としてのグリーンツーリズム、」2つ目は「産業作りとしてのグリーン・ツーリズム」、そして3つ目は「生きがいづくりとしてグリーンツーリズム」である。
1つ目の「観光としてのグリーンツーリズム」は主に都市住民側からのアプローチである。従来の「見る・食べる・遊ぶ」の「るるぶ」的な観光に飽き足らなくなった人々が、「作る、語る、学ぶ」的な目的・テーマをもった新しい観光を求め始めた。しかし、この捉え方のみではムラ人は動かない。「それは、マチの人間の勝手や。わしらはマチの連中のために生きてるんやない」と。
2つ目の「産業作りとしてのグリーン・ツーリズム」は、主に行政主導で展開されてきた。その美名のもと、多くの税金がつぎ込まれ、まず施設が全国のムラ々に作られた。それから第一産業+第二次産業+第三次産業=第六次産業として複合産業による経済基盤作りである。これも「そりゃ、すぐ儲かるんか。それならやろう」と集まったムラ人たちは理想と現実のギャップに、何年か後には解散の憂き目をみる。
実は一見地味に見える第3の「生きがい作りとしてのグリーンツーリズム」が大切なのである。全国でもグリーンツーリズムのメッカとして注目される大分県安心院(あじむ)町(九州のムラでも7号、14号と取材した地域であるが)では、主に一線をリタイアしたムラ人たちが自宅を開放し、マチの人々と"農村民泊"と呼ばれる交流を行っている。かれらの多くは、農村での第二の人生を心豊かに暮らすためにグリーンツーリズムに取り組んでいる感が強い。マチの人々と交流することで、自分たちが、そこで暮らしてゆくことの価値を認識していく。「わしらはここには何にもないと思っとったが、マチの人がこんなに感動してくれとる。自分たちの暮らしもまんざらでもなかったんや」。この"生きがい"の先に各々の"生業(なりわい)"があり、更に地域の"地域づくり"があるのである。そのベースがあって、第1、第2のグリーンツーリズムも無理なく成り立っていくのである。
分科会の後は、水俣のスローフードに舌をうちながらの交流会が始まった。「九州のムラ」同窓会さながら、懐かしい面々との再会であった。第7号「グリーンツーリズムとの対話」で取材した安心院町の「舟板昔話の家」中山さん、南小国町「さこんうえの蛙」の河津さん、西米良村の「西米良型ワーキングホリディ制度」の仕掛け人・黒木課長、黒木町「四季彩館」の椿原さん、11号では岡垣町「ぶどうの樹」の小役丸さん、三瀬村の「マッちゃん」こと合瀬さん、12号の「森の学校」北島さん、「エコツーリズム伝道師」こと山口さん、13号からははるばる愛知、大阪から参加した「カントリーウォーカー」の小川さん、梅本さん。14号では宮崎県山田町の吉見さんご夫婦、再会町ならぬ長崎県西海町の福田さん。それに自分が卒業した「九州ツーリズム大学」の同窓生や先生方、「北海道のムラ」「東北のムラ」を目指して、準備中の長尾女史、中島君。九州でツーリズムを広げるために奔走する同士であるリクルートの井出君などなど。交流会はまだまだ書ききれないほどの人々との楽しいひと時であった。
最終日のシンポジウムで東洋大学の青木先生が興奮した面持ちで語った。「今日、この日は日本のグリーンツーリズムの歴史の中で記念すべき日となった」と。
「九州のムラ」にまた新たな1ページが綴られた日であった。
2004年3月6日 養父信夫