ムラコラム

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「子守唄」


由布院盆地  中谷健太郎


 8月11・12日は降ったり、照ったりの狐日和だった。弟に声をかけて村の初盆の家々を周る。行く先々に懐かしい人の話が湧いて出た。村の地下層を流れている「記憶」の井戸だ。年に一回、そいつを〈汲みだす〉祭りがある。「初盆」がそれだ。弟と二人、合計140歳で「井戸掘り」に出かける。いやはや村の地下水も、古くなったなあ。
 ところで今年5月末に孫が生まれた。「ぼた餅のような顔」と評議が一決したので、ジジは便所に入って独り、大分・南部の「宇目の唄げんか」を唄った(意気地なしだね)。
〈こんこ可愛いや、ぼた餅顔よー、ヨイ、ヨイ、黄な粉つければ、なおよかろ、ヨーイ、ヨーイ、ヨーイ〉。
 私が子供であった頃、弟の子守に来ていたチイちゃんが唄っていた。チイちゃんは宇目から遠くない「保戸島」の子だった。保戸島では、男は長い遠洋漁業に出かけ、女は家と島を守る、子供は親を援けて「口減らし」の旅に出る、それが「子守だ」と聞いた。チイちゃんは、牛蒡を洗う時も、米を研ぐ時も、ゴミを運ぶ時も、焚き付けを燃す時も、弟を背中にくくりつけて唄っていた。〈要らん世話焼く他人の外道、ヨイ、ヨイ。焼いてよければ親が焼く、ヨーイ、ヨーイ、ヨーイ〉。
 その頃、池の端の鎮守さまに梟が棲みついて、陽がかげると静かに啼いた。梟のことを由布院では「コウズ」という。「コウズは何ち啼きよるか、知っちおる?」とチイちゃんが訊くので私は「ホウ、ホウ、じゃろう」と答えた。「違うッ」とチイちゃんが叫んだ。「ボロ着て奉公、ボロ着て奉公、ち啼きよるんじゃ」チイチャンは、にんまり笑った。
 数日後、私は母の小箱から小さな緑色の「耳飾」を摘まみだして、チイちゃんに呉れてやった。母と一緒に「物々交換」の「食べもの買い」に出かけたとき、誰も採り上げてくれなかった代物だ。緑色の眩しいガラスのようだった。
 「フーン」詰まらなさそうに受け取ったチイちゃんは、その日のうちに居なくなった。「風呂敷包みを抱えて駅におったで」と教えてくれる人もいた。一ヶ月ほど経って母が「耳飾」が見付からんとバタバタしていたが、すぐにあきらめたようだった。
 みんな忘れた、そして3年が経った。
 ある夏の日、私宛に小さな郵便小包みが届いた。発送主の名前に覚えはなかったが、包みの中の、また包みの中の、紙の中から緑色の「耳飾」が出てきた。私はそれを隠し持って大人になり、母を見送り、今年、ジジになった。孫たちが帰ってきたら「鯉のぼり」を歌うつもりだ。〈甍の波と雲の波、重なる波の中空を、橘かおる朝風に、高く泳ぐや鯉のぼり〉。古い地下層に新しい水を...といっても大正2年の文部省唱歌だけどね。

イラスト:宮崎 典子

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中谷 健太郎(なかや・けんたろう)
1934年、大分県湯布院に生まれる。明治大学を卒業、東宝撮影所に入社。62年、父の死により帰郷。旅館亀の井別荘を継ぐ。以降、ゆふいん音楽祭、牛喰い絶叫大会、湯布院映画祭などまちづくりに取り組む。著書は「湯布院に吹く風」など。